先日宮島にある大聖寺に行きましたがこのお寺の長い階段の手すりにはチベット仏教の仏具だと思いますが手で回しながら階段を上がればお経を唱えるのと同じ効果があるようにテレビで見たように思います。
其の階段の脇に歩道がありたくさんの白に赤線の入った揃いの帽子をかぶった仏様が並んでいます。
私は数をかずえた訳ではありませんが五百人の尊敬できる僧侶の五百羅漢ではと思います。
階段を上がった所に涅槃仏がありますが私はアジアの国に行くとこの涅槃仏をよく見かけます。特に有名なのはタイのバンコクのワットポーやアユタヤに物凄く大きなスリーピングブッタと言われている仏様が方ひざついて寝ていますが仏様は凡人と違い足の裏が平らでワットポーの仏様は足の裏に有りがたいお経のような文字が刻まれています。
日本人は一部の新興宗教を除き特に宗教のこだわりがないのでそれを利用したような宗教ができたりなかにはカルト集団のような宗教までありますが宗教は本来は人間の心のよりどころのはずですが宗教ぐらい恐ろしいものはなく人間を洗脳してとてつもない多額のお布施を集めたり政治に参入したりイスラムでは民族戦争が絶えず異教徒同士の殺し合いが続いていますが本当の宗教の姿はこの五百羅漢の仏様のような安らかなお姿なのではと思いますが人間はえごと欲の塊なので綺麗言では生きてゆけないのも現実です