井戸替と言う言葉は今の人には理解できないかと思いますが先日私の近所にある大きな井戸の水が腐敗して異臭があるとの事で岡山市に依頼して井戸水を替える作業をしてもらいました。
妹尾町時代は上水道が来ていなかったのでたくさんの井戸がありましたが妹尾小学校の四隅には特に大きな井戸があります。
そのなかでも小学校の東側にある大正井戸は一番大きくて深さもあり妹尾の町民の多くがこの井戸水を飲料水として使っていました。
私の家のすぐ裏がこの井戸で朝暗いうちから水くみにくる荷車の音で目が覚め夜明けと共に水売りの人や井戸端会議が始まりこの井戸から生活の一日が始まってたように思います。
夏はスイカやトマトが浮かび一升瓶に入れたお茶を紐で吊るして冷やしたり近所のおばさんはうどんを湯がして水にさらしながら味見していたら食べてしまったとか懐かしい思い出のある井戸ですが赤痢が大流行したことがありその後上水道が出来て井戸の役目は終わりましたが防火用水として保存していましたが永年水替えをしていかったので今回の井戸替えとなりましたがその時代は近所の人総出で一人一人つるべを持ち一日がかりの夏の行事でしたが今はポンプ車で短時間での作業で終わりました。
今の日本は上水道の施設が行き届いていて井戸水に頼らなくても生活は出来ますが数年前にミャンマーの田舎の村に行った時に見た光景は昔の日本そのままの飲料水を求めて井戸中心の生活で衛星的にはどうかと思いますが人間としての幸せは新しい文化が入る事が全て幸せにはつながらないように思います。